2017年大会前日、BC(5364m)からヘリで離脱。
エベレストの懐に大切な忘れ物をしてきてしまった…
『エベレストマラソン』には、異名がある。
“世界一標高の高い場所で開催されるマラソン”、そして “世界一スタートラインに立つことが難しいマラソン”。
エベレストの玄関『ルクラ』から、マラソンのゴールとなる『ナムチェバザール』へ。ここから先は、マラソンコースを逆にたどり、スタート地点の『エベレストベースキャンプ』(5364m)を目指すトレッキングとなる。
『エベレストマラソン』公式サイトより。
2017年5月16日、半年にわたるトレーニングを積んできた菊川さんは、いよいよ羽田を経由してネパールへと飛び立った。17日カトマンズ到着、18日エベレストの玄関口ルクラ(2840m)へ移動。ルクラでガイドと荷揚げをしてくれるシェルパと合流。この日から28日まで12日間かけてゆっくりとマラソンのスタート地点エベレストベースキャンプBC(5364m)まで、高地順応を兼ねてのトレッキングとなる。『エベレストマラソン』は、過酷な耐久レースであると同時に、壮大な旅、もはや冒険なのだ。
ルクラからパクディン(2610m)に移動して1泊。高度的には下がっているのだけれど、上がった感覚のほうが強く、なぜかよく眠れず2時間おきに目が覚めたという菊川さん。萩往還完踏で体力は折り紙付き、高度にも弱くはないはず、登山プログラムも積んだ。しかし、自称『心配症』の菊川さんの中で不安が芽吹き出していた。
―― トレッキングの道のりの、どのあたりから“これはマズイかもしれない”という感覚になっていくのでしょうか。
菊川さん「ナムチェ(3440m)から軽い頭痛はあったのですが、タンボチェ(3868m)に泊まった夜くらいから、酸素飽和度も50%台になり、吐き気と食欲減退という高山病の症状が出はじめました。日常生活なら、酸素飽和度が90%を下回ると呼吸不全の診断になるレベルなんです。タンボチェは標高からすると、富士山よりわずかに高い程度。十分に覚悟して現地入りしたつもりだったのですが……。今にして思えば、現地のガイドやシェルパとのやりとりがお互い片言の英語で、コミュニケーションが十分にとれないことが不安を大きくもしましたし、不調の立て直しを困難にしていったように思います。
私は、高山病に効くとされる『ダイアモックス』を持ってきていませんでしたので、吐き気止めや鎮痛剤でしのぎながら、執念でBCを目指しました」
―― 途中まで一緒だった日本人ランナー2人とも、分れてしまったんですよね。不安も、より一層募りますね。
菊川さん「高地順応のため、日本人メンバーはディンボチェ(4410m)に連泊。翌日は600m高度を上げてロブチェ(4910m)を目指す予定でしたが、私だけはうまく順応できず、むしろ200m下げて、いったんペリツェ(4240m)まで下りました。高山病の兆候が出たときには、いったん高度を下げ、高地順応をやり直すのが得策なのです。ここから先は、『フル―バ』と二人きりでした。片言どころか、英単語のみでのやり取り。遅れをとってしまい、気持ちは焦るし、心細いし……。高山病の深刻度さえ判断がつかない。『フル―バ』に支えられながら、おぼつかない足取りで700m近く上がってロブチェへ。『フル―バ』は、私の様子を心配して“また下がろう”と提案してくれたけど、下りた分、もう一度登らなければいけなくなることが難しく思えてしまうほど、すでに具合が悪かったのです。眼の前の迫る山々はそれはそれは綺麗だったのですが、もはや記憶もはっきりしない、絶景を楽しめない状況で、ゴラクシェブ(5170m)にたどり着きました。翌日は、いよいよスタート地点となるBC(5364m)です。でも、このたった200mが遠くて……。頭が朦朧としていた私は、『フル―バ』に“どこ? あとどのくらい?”と幾度となくたずねて……、彼もそんな私を不安そうな目で見つめていました。大会まであと1日。どうにか、たどり着いたBCは、巨大な氷河がそびえ、この世のものとは思えない濃い空の色をしていました。ようやくここまで来たと……」
―― ついに到着したんですね、『エベレストマラソン』のスタート地点に。BCのダイニングテントで大会ドクターの診察を受けるシステムになっているそうですね。
菊川さん「ドクターには、 “走り切るのは難しい。”と言われてしまいました。“リタイアするか、スタートするか決めるように。”と。“今でさえおかしいのに、このままスタートして何かあった場合、救助は間に合わないかもしれない”と。BCのスタートラインに立つことを目標にがんばってきて、その舞台が、もうすでに目の前に広がっているわけです。一晩、テントで明かせば、明朝には『エベレストマラソン』がスタートします。でも、このおぼつかない足取りで、頭痛を抱え、ナムチェまでの急峻なコースを走れるのか……、スタートしてしまったら最後、生きて帰れないかもしれない。引き裂かれるような思いの中、ひと足先にBCに到着していた日本人ランナーの一人が体調を崩し、すでに救護ヘリを呼んでいるというのです。今ならスムーズにことが進む……。一緒に乗るよう促され、私は生きて帰る道を選びました。」
―― ちゃんとスタート地点にはたどり着いたのに……、このタイミングでの撤退は無念でしたでしょうね。
菊川さん「飛び立った救護ヘリの窓から下を見ると、ガイドの『フル―バ』が見送ってくれていて、その姿とBCがみるみるうちに小さくなっていくのを見た瞬間、取返しのつかないことをしたのではないかという後悔が沸き上がってきました。なぜ“ヘリに乗る”などと言ってしまったのか……と。今でも思うんです。あの時、ヘリがタイミングよく呼ばれていなかったら、私は翌朝、エベレストを駈け下りていたかもしれないと……。大きな忘れ物をしてきた思いです」
それまでに費やした歳月を思えば安易に口にできる言葉ではないが、それでも言いたい。あの瞬間にヘリが到着したのは、『エベレスト』から菊川さんへの粋な計らいだったと思う。きっと世界最高峰のあの山は、“またおいで。スタートではなくゴールのために”、そう言ったのだ。
スタートラインに並ぶことができず高山病で亡くなった『エベレストマラソン』の参加者が、2017年大会だけで3名もいたという。