「ピアノって楽しい!」その一途な思いは
言葉を超えて人々の心に響き渡った
ピアニスト:
伊藤仁美さん
楽しく学べるギロック氏の音楽との出会いと
情熱的で自由なチェコの音楽との出会い
―― ギロック氏の音楽とは、どのように出会ったのですか。
伊藤さん「卒業してからは、ピアノのレッスンを受けるために多くの先生を訪ねました。はじめに、友達が留学していたドイツにしばらく滞在して、フライブルグの先生に習いました。そうしたら、日本の先生とまったく逆のことをおっしゃるんですね。日本では、もっと強く、もっとしっかりと教えられたんですけれど、ドイツでは「なんでそんなに強く弾くの、もっと弱く」って・・・(笑)。そこで、強弱のコントロールがうまくできないという課題をもらって。で、次はフランスの先生の所へ行って、また別のことを指摘されて、次はチェコの先生……と。それから、日本にいらした外国の先生に習いに行ったり、名古屋や東京の先生についたり、全部で30人くらいの先生に習いましたね。その中の一人がギロックさんでした」
―― ギロックさんには1992年、1993年の2回、渡米して師事されていますね。その出会いは、やはり特別だったのでしょうか。
伊藤さん「訪ねるきっかけとしては、私が、リサイタルでリストの超絶技巧の曲を弾くことになっていた時、その曲と合わせる、箸休めになるような気持のよい曲を探していたんですね。それで、娘が弾いていたギロックの曲が素晴らしいなと思って。すごく小さな、シンプルな曲なので、リサイタルで弾くためにはきちんと勉強したいと、全音(全音楽譜出版社)に問い合わせたところ、私が英語で書いた手紙をテキサスにいらっしゃるギロックさんに取り次いでくださって。だいぶ経ってから、直接お返事が来たんです。『テキサスは暑いから、3月頃にいらっしゃい』って。その時びっくりしたのが、普通はこのようなコンタクトを取るときには必ず、どこの学校を出たとか、どんな活動をしているとかプロフィールを出さなきゃいけないのに、ギロックさんが聞いたのは、『女性ですか、男性ですか、つまり、手紙を書くのにミスターと書けばいいか、ミセスと書けばいいのか』と、その一言だけだったんです(笑)。そこで、まずギロックさんに惹かれました」
―― たったそれだけで、何も聞かずにいらっしゃい、と言ってくださったんですか。
伊藤さん「そうなんです。それで、実際にお会いしてレッスンを受けた時に、ぜひ、(伊藤さんがギロックさんの楽曲を演奏して)CDを出してほしいと言われたんです。でも、その時すでに、日本の著名なピアニストがギロックさんのCDを出していたんですね。だから、私がやらなくても、と断ろうと思って、そのCDを送ったんです。普通だったら、著名なピアニストが弾いたCDが出ていれば、それで納得しますよね。でも、ギロックさんはそのCDを聴いて、『有能なピアニストかもしれないけど、私の音楽ではない。ぜひ私(伊藤さん)に出してほしい』と言ってくださったんですね。私は有名でもない一介のピアニストなのに、ギロックさんは大事に思ってくださって、私の演奏を『“もし自分が弾けるのならこんな風に弾きたい”というように弾いてくれた』と喜んでくださったんです」
ギロックの魅力は、音楽を楽しみながら学べることだ。ギロックは、ワクワクするような演奏をとおして音楽の喜びを知ることができるようにと、親しみやすい曲を作り、子供たちを指導したという。伊藤さんもまた、ピアノを「楽しむ」ことを大切にしながら多くの人を指導し、トークコンサートを開いたり、テレビやラジオにも出演したりと、多方面で活躍されている。そんな二人の音楽への向き合い方に、ギロックさんは同じものを感じたのかもしれない。ギロックさんの厚い信頼を受け、伊藤さんはその後、「叙情小曲集」「こどものためのアルバム」など、ギロックさんのCDを多数リリース、楽譜も出版した。
―― 現在では伊藤さんがギロック協会の主宰として、日本でギロックさんの音楽の普及に努めていらっしゃいますね。
伊藤さん「ギロックの曲はそれ自体素晴らしいんですけれども、彼は作曲家といってもピアノ教師でもあるんです。ですから、ピアノ教室の生徒に、ショパンやモーツァルト、ドビュッシーなど偉大な作曲家の曲を弾くための練習として、それらを小さくミニチュア化した曲を作って弾かせていたんですね。子供の小さな手でも、魅力的な楽しい曲が弾けるように。彼の曲にそういうコンセプトがあるということは、ギロックさんを直接訪ねて初めて知ったんです。そして、たくさんの楽譜を私に預けて、これを日本に広めてくれませんか、とおっしゃってくださいました。でも、私はピアニストだし、そういう立場も力もないと思ったので、作曲家の先生や楽譜を出している先生方に楽譜を持ってお願いに行ったんです。先生方はすぐには動いてくださらなかったので、しばらくは自分でアメリカから楽譜を取り寄せ、ギロックの曲を生徒たちに教えていました。その後、ギロックの楽譜が出版されてからは、私はピアニストとしてCDを出すことと、ギロックの曲の意味などお伝えするセミナーを開いています。今までに北海道から沖縄まで、800カ所くらい行きました」
―― すごい!本当に日本全国を回られたんですね。
伊藤さん「ギロックのすばらしさを全国に伝えてはきたんですけれど、私自身の音楽活動としては、やはりギロックだけではなくて、ショパンとかモーツァルトとかベートーヴェンとか、そういう偉大な作曲家の作品も携わっていきたいと思っていて、ギロックと偉大な作曲家をコラボさせるようなコンサートを企画しています」
―― 偉大な作曲家の曲を、より親しみやすく伝えたいという思いは、ギロックさんと同じですね。また、ギロックさんは、美術の学校を出られ、広く芸術に興味があったそうですね。そういった幅の広さも、伊藤さんと共通しているように思います。
伊藤さん「そうかもしれないですね。ただ、ギロックさんは小さい時からピアノを弾いていらしたんですが、ちゃんと習ったわけではなく、小さい頃は耳コピ(楽譜を読まず、音を耳で聞いて覚えて演奏すること)で弾いていたそうなんです。だから、彼の音楽は楽譜を読むことに労力を使わないような『楽譜は易しく、音楽は深く』というところがあって。そこも、私は素晴らしいと思っています」
ギロックの音楽の魅力を広める一方で、伊藤さんご自身のピアノも研鑽の手を緩めていたわけではない。室内音楽の活動を続ける中で、伊藤さんがチェコの弦楽四重奏団と一緒にドヴォルジャークの五重奏を演奏した機会があった。その時、またも不思議な運命が伊藤さんの周りで動き出したのだ。
伊藤さん「チェコの弦楽四重奏団と一緒にコンサートをしたとき、私の演奏を聴いて気に入ったという人から、そのドヴォルジャークの五重奏でCDを出さないかと声を掛けられたんですね。それで、CDを収録したときに、少し時間が余ったので、私が知っているチェコのフィビヒという作曲家の曲を演奏して、追加のつもりで入れました。そうしたら、それについて、『レコード芸術』(音楽之友社の月刊誌)の中で、“この演奏家でもっとフィビヒを聴きたい“という評が掲載されたんです。誰が書いてくださったのか忘れましたが、今度はその評を読んだチェコ音楽研究家の関根日出男先生から、『フィビヒの没後100年の記念にCDを出しませんか』と、声をかけていただいたんです。それが初対面だったんですが、見ず知らずの私にフィビヒが作った350以上の曲の、全部の楽譜を送ってくださったんですね(笑)。本当は、全部弾いてCDにしてほしいと言われたんですが、全部はとても無理なので、そこから好きな曲を30曲選んで、演奏したCDをナクソスからリリースしました。そして、そこから全音が楽譜として取り上げて出版してくださったんです」
―― 伊藤さんが意図しないところでどんどん輪が広がっていくんですね。
伊藤さん「本当に、自分から何かをしようというよりも、いろいろなところから声をかけてくださって、次々といろんなお仕事が進んでいるだけで、全然自分の積極性がないのはダメだってよく人から叱られるんですが(笑)」
このときに出したフィビヒの音楽が世界中で販売され、世界でも上位にランキングされるほど売り上げを伸ばすと、今度は同じチェコのヤナーチェクやドヴォルジャークの楽譜を出しませんか、と声がかかったそうだ。そこで、伊藤さんはチェコの音楽の持つ魅力に触れることとなった。
―― チェコの作曲家のCDも多く出されていますね。チェコの音楽は伊藤さんに合うんでしょうか。
伊藤さん「チェコの音楽は本当に独特で、情熱的なんです。それまで、私の演奏はずっと、表現がオーバーだ、表情が強すぎる、やりすぎだと言われていたんですが、チェコの先生に習ったら、『もっとやれ、もっと、もっとオーバーに!』と言われるんですね。すごく表現豊かなんです。例えば、強いフォルティシモからピアニッシモまで数小節で一気に変えなきゃいけないときに、差が大きいと急に変えるのは難しいので最初のフォルティシモを少し抑えめに弾いたんですね。そうしたら、『もっと強いところから真っ逆さまに落ちるように弾いて』と言われて。『この長さではそこまで急に弱くできない』と言ったら、『あと2小節くらい同じところを弾いて、だんだん弱くしていけばいい。誰もわかりゃしない』と(笑)。もうめちゃくちゃですよね。それから、絶対に指が届かない幅広い和音があって、届かないから少しばらしてアルペジオで弾いたんです。そうしたら、『そこは死ぬシーンだから絶対にばらしてはいけない。届かないなら鼻で弾け』と言われて(笑)。鼻で弾けって言われても、そんなにうまくできないんです。そこをCDに収録するときには、仕方ないので鉛筆に消しゴムを付けて、それを口でくわえて音を出したんです」
―― 美しい曲を聞いているだけではわからない苦労ですね(笑)。10本の指で届かなくても絶対に離すなと。情熱で押し通すんですね。
伊藤さん「そうです。ヤナーチェク自身の言葉にも『自分の曲を演奏するのに大切なことは音楽に対する情熱であって、決してアカデミックなものでなくてよい』というのがあるんですね。それを聞いて、ああ、なんて優しい言葉だろう、なんて自由なんだろうと思いまして。私はそれまでずっと、はみ出してはいけない、もっとショパンらしく、バッハらしくと言われ、型にはめられることばかりでしたから。その後、ヤナーチェクを入れたリサイタルでは『名古屋音楽ペンクラブ賞』をいただきました」
―― 伊藤さんのピアノの表現とヤナーチェクやチェコの曲があってるのかもしれませんね。
伊藤さん「はい。それから、ヤナーチェクのCDを出したときにも面白い話があるんです。ヤナーチェクの曲をできるだけ正しく弾くために、チェコで買ってきた楽譜でチェコの先生のレッスンに行きましたら、先生が楽譜を見て『この音もこの音も間違っている』って、楽譜に間違いがあるんですね。そのたびに先生が、『この楽譜は違うんだよ。ヤナーチェクはこういう音だったよ』って教えてくださるんです。それで、楽譜が古いから間違っているのかなと思って、もっと新しいものをチェコから取り寄せるんですが、その楽譜も全く同じなんです。どういうことかと思ったら、チェコでは、楽譜を出版した時に間違いがあっても直さないので、一度出版されるとそのまま広まってしまうらしいんです。チェコ人のピアニストたちは口伝えで本当の音を知っているので、楽譜を見ながら口頭で『ここは違うんだよ』と教えているんです」
―― 日本ではありえないことですね(笑)。
伊藤さん「日本でもヤナーチェクの楽譜を全音から出版することになって、正しい楽譜を作るため、ヤナーチェクの自筆楽譜を見にチェコの博物館まで行きました。そうしたら、やっぱりチェコから出ている今の楽譜と違っていたんです。日本から今出ている楽譜は、自筆楽譜を元に正しく直してあります。でも、普通は日本で作った楽譜より、チェコのプラハで出版されている楽譜の方が正しいと思いますよね。ところが、地元の楽譜が間違っている。そんなことがあるんだと、驚きましたね。試しに、世界中で出されているヤナーチェクのCDを買って聴き比べてみたんですが、チェコのピアニスト以外は全部間違った楽譜で弾いていました。チェコの人に直接聞かなければ、楽譜の間違いには気づかないですからね」