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老舗の暖簾は、駅伝のタスキ
― 陸上部を持つ高級えびせんべい屋 ―

桂新堂 7代目社長:光田敏夫さん

部門ごとの垣根を取り払ったマラソン参加。
苦難をともに乗り越える体験で社内にいい風が吹いた

よく見えるようになって趣味のゴルフも益々楽しめているという光田さん、実は、もう一つ、“走る”という趣味をお持ちらしい。ご自身の会社『桂新堂』内の陸上部には一応社員全員が所属しており、その中の10名ほどの選抜メンバーが毎年サロマ湖のウルトラマラソンに出場しているというではないか。

―― 『桂新堂』の陸上部、地元ではかなり有名だそうですが、どのような経緯で誕生したのでしょうか? 光田さんは、お若い頃から陸上がお好きだったのでしょうか?

光田さん「私は引きずられて走りはじめたクチなんですが、面白くなってしまってね。うちの会社の中に、マラソンが好きな社員がおりまして、大会に一緒に出ようと誘われてちょこちょことレースに出るようになっていたんです。そんな折、15年くらい前のことかな。名古屋の著名な広告代理店に『新東通信』というユニークな会社があってね、そこの社長が『犬山シティマラソン』(2018年に第36回で終了)の第1回目から毎年30年以上ずっと出ていて、ついには社をあげて参加していると。その『新東通信』の方に、実に楽しいから一緒に出てみないかと誘われたんですよ。それで『桂新堂』内で10名くらいかき集めて出させてもらったんですが、レースはもちろんのこと、走り終えたあとの宴会が、広告代理店だからなのか、びっくりするほど盛り上がっていて面白いんですよ、これが。」

―― レースのあとの社をあげての打ち上げにしびれてしまったのですね。

光田さん「一体感というか、高揚感というか。いい会社だなぁと、こうなりたいなぁと思ったわけです。そこで早速、打ち上げの席で、うちからの参加者10人に投げかけたんです。“会社の仲間と和気あいあいできて、本当に素敵だよな。こんな風になりたくないか。こんな会社にしたくないか”と説得したのが、陸上部のはじまりですかね。

その後、『桂新堂陸上部』は、2010年にはじまった第一回『豊橋ハーフマラソン』に参加するようになりまして、今では毎年130~150人くらいが走っています。レースのあとには、もちろん盛大に宴会をやるんですけど、これが思い描いた以上のいい結果を生みました。うちは業務上、工場の製造部門、製品の運送部門、店頭での販売部門とでは働く場所も違いますから、どうしても互いの姿が見えないゆえに部門ごとの垣根がありました。それが、陸上部ができたことで、垣根がなくなって、とても雰囲気のいい会社になりましたね。ただ単に集まって酒を飲むだけではダメで、きっと同じ苦難をともにして乗り越えたという経験を共有できるのがいいのでしょうね。」

2019年第10回『豊橋ハーフマラソン』に集結した『桂新堂陸上部』。胸にはEBI RUNの文字と真っ赤な海老。

―― それは素晴らしい副産物でしたね! 光田さん個人のランナーとしての記録をうかがってもよろしいでしょうか?

光田さん「フルマラソンですと『東京マラソン』が3時間44分、さらに長い距離になりますと『第33回サロマ湖100㎞ウルトラマラソン』で、こちらは10時間37分。両方とも自己ベストの記録で、どちらも2018年、62歳の時に出したものです。」

62歳でウルトラマラソン自己ベストをたたき出した、2018年の『第33回サロマ湖100kmウルトラマラソン』

―― 2018年! つい最近ではないですか。走りはじめて20年近くになるのに、60歳を超えて自己ベストですか? いつまで進歩されるのですか。それは、本当に驚きですね。

光田さん「でも記録への挑戦以上に、最近、楽しみにしているのが、フランスの『メドックマラソン』への参加なんです。赤ワインで有名なボルドーのメドック地方で開催されるフルマラソンで、参加者にふるまわれるドリンクが置いてあるエイドステーションに、水と一緒にシャトー自慢のワインが並んでいるという(笑)。フランス人ランナーは、みなさん、べろべろに酔っ払いながら走ってますよ。しかも毎年、お題のように大会側から仮装テーマが出るんです。2019年は“スーパーヒーロー”、その前の年は“アミューズメントパーク”だったかな? その年は白雪姫の小人の恰好で走りました。フランス人は、本当に人生の楽しみ方を知っているなと思いますね。私も、そのように生きたいと思っているんです。残りの人生、あと何回、心からの感動を味わえるだろうか。1回でも多く、仲間たちと分かち合い、味わいたいものです。」

フランスで行われた2019年『メドックマラソン』。この年の仮装テーマは“伝説のレジェンド”。光田さんチーム扮するのは、『ワンピース』のルフィーである。

光田敏夫さんは、フランス人に負けず劣らす人生のあちこちに落ちているワクワクの種を見つけるのがお上手だ。そのような意味でも、実に目がいい。そして種を慈しむように育てる苦労を厭わないし、苦労さえも楽しめてしまうリーダーである。実りの感動を知っていて、その絵が常にありありと見えているからだろう。この度のコロナ禍しかり。苦境にあっても、希望の火を絶やさないリーダーの背中は頼もしい。

―― ランナーとして走りを謳歌されている光田さんですが、『桂新堂』の暖簾を引き継がれているという意味で、ご自身を『桂新堂』の7区えびせんランナーと例えられたりされていますよね。老舗の暖簾というタスキは、重そうですね。

光田さん「うちの『桂新堂』は、第二次世界大戦の時に、男がみんな戦死してしまいましてね、残ったのが3姉妹だけだったんですね。さあ、どうしていこうか、江戸時代から続いてきたこのえびせんべい屋をやめてしまうのか……という話になったときに、末の妹が“それは、もったいない! 私が売るから、お姉ちゃんたちでえびせんべいを焼いてよ”というので、もう一度、名古屋に出てかんばることになったそうなんですね。それで最初につくった店が、今の金山にある本店です。物資の不足する中、女性3人で切り盛りしていた当時の苦労はいかばかりかと思います。私の母は、3姉妹の真ん中なんですが、長女も三女も独身のまま亡くなったので、次女の息子である私が暖簾を引き継ぐことになったというわけです。」

―― 創業150余年の老舗『桂新堂』の跡取りとして生まれ、その暖簾を継承していかなくてはならないことに、重圧を感じたことはなかったのでしょうか。例えば、幼少期には別の夢をお持ちだったとか。

光田さん「あー、ないですね。私が子どもの頃には、家の中でえびせんべいを焼いていましたから。その美味しそうな香りに、ふんわりと包まれて大きくなりましたからね。学校でも先生方に“お前は、えびせん屋を継ぐんだからな”と言われて(笑)。そうかそうかと、すごく自然に、当たり前に暖簾というタスキを受け取りました。」

そのタスキをつなぐのが使命と語る光田さん。“8区えびせんランナー”となる長男の侑司氏は、すでに『桂新堂』の専務取締役として、父からのタスキを受ける日に向けてウォームアップ中とうかがった。年齢を感じさせない父の見事な鉄人えびせんランナーぶりに、ウエイティングゾーン内で武者震いをされているに違いない。そして、タスキとともに「おいしいお菓子で人々に喜んでいただく」という哲学を受け継いでくれるはずである。

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