結婚してからは一度も喧嘩してないの。
それが私たち夫婦の一番の自慢
画家:三輪光明さん(80歳)
声楽家:三輪弘美さん(79歳)
60年前の4月29日、仲間とリヤカーを引いて、
うちに下宿生がやってきました
芸術家同士の夫婦は決して珍しくないかもしれないが、三輪光明さん(80歳)、弘美さん(79歳)の場合は画家と声楽家、そのフィールドは近そうで遠い。思わず馴れ初めをうかがうと、奥さまの弘美さんが、にこやかに弾むような声で、ちょっと悪戯っぽく、60年前の日のことを、あたかも昨日の出来事かのように語ってくださった。
―― お二人は、どこで、どのようにして出会われたのでしょうか?
三輪弘美さん「出会ったのは、群馬県の高崎市で、もう60年も前のことです。うちは、戦後、満州から引き揚げて来たのですが、戦争未亡人だった母は養護施設に住み込みで勤務しながら、私と腹違いの姉を育ててくれました。彼と出会った、その春、私は群馬大学の教員養成課程だった学芸学部の音楽科を卒業して、藤岡女子高等学校の教員として勤めはじめたばかりでした。まだ、その養護施設に住んでいたのですが、そこに下宿人として招かれてやって来たのが、高崎経済大学に通う主人だったんです。主人とは本来、同学年なんですが、こちらは二浪していたので、まだ大学3年生だったのよね(笑)」
三輪光明さん「その施設の職員が女性ばかりで不用心だというので、男子学生を用心棒代わりに下宿させたいという話が大学に来て、素行のいいのを一人送ってくれということで、私に声がかかったようなのです(笑)」
弘美さん「引っ越しは、祝日だった4月29日でした。本棚一つと布団一組をリヤカーに乗せて、たったそれだけの荷物を10人もの男友だちとワッセイワッセイと神輿のように引いてやってきたのが主人でした。 翌日の朝、出勤のため靴を履こうとしていたら、向こうからサササーッとスリッパの音が近づいてきて、彼が“おはようございます!”って声をかけてくるではないですか。でも、私の出た学校は、地元では、あの学校の出身であれば政財界を担う人間の妻になれるといわれるような、厳しい校風で有名なところでしたので、当然“男性と軽々しく口をきいてはいけない”と教わっているわけですよ。男性と手紙を交換しただけで停学になるような学校でしたから。返事もできないまま出ていこうとしたら、後ろから何らひるむことなく、 “行ってらっしゃい!”ともう一声かけてきて……。最初はびっくりしてしまって、“もうっ、変な人”って思いました(笑)。でも、それがすでに意識のしはじめだったかもしれませんね」
光明さん「私のほうは、名古屋市立向陽高校の出身で共学育ちですので、朝の挨拶をすることに、ためらいなどなかったわけです。ただ、なんて姿勢の良い、てきぱきとした身のこなしの女性なんだろうと思いましたね」