想い出をカタチに残すデザインで、
注文殺到のバッグ・ショップオーナー
Primavera代表:広里友規子さん
プロ集団が力を結集して一つのショーをつくりあげる、
打ち上げ花火のような煌めきに惹かれ、演出家に。
長年、ファッション・ショーの演出を手掛けてきた抜群のセンスを生かしてバッグのデザイナーに転身し、ハンドメイド・ショップ『Primavera』を経営する、広里友規子さん。マラソン歴10年のランナーでもある。
オリジナル・バッグのデザイナーであり、全国から注文の入るハンドメイド・ショップ『Primavera』(千種区)のオーナーでもある広里友規子さん(65歳)に、ものづくりにかける想いをうかがった。クローゼットで眠っていた古いブランド物のバッグや、愛着たっぷりで捨てるに捨てられず仕舞い込んだままのジーンズや革のコートが、広里さんの手によって唯一無二の素敵なバッグに変身していく。そのお仕事ぶりをご紹介する前に、もう一つのライフワークでもあるファッション・ショーの演出家:広里友規子を知っていただこうと思う。
2018年夏。コロナ禍前に、広里さんが演出を手掛けた『名古屋マリオットアソシアホテル』でのウエディング・コレクション。
名古屋は地下街がたいへん発達しており、実は日本初の本格的な地下街ができた都市でもある。名古屋市営地下鉄1号線、すなわち東山線の開通前にと、1957年3月に誕生した『ナゴヤ地下街』(のちの『サンロード』)が、それだ。1976年11月に誕生した『テルミナ』(のちの『ゲートウォーク』)をもって、名古屋駅前地区の地下街が完成する。この『テルミナ』のオープン記念イベントが、大学生だった広里さんの運命を変えた。
―― 当時は、南山大学外国語学部のフランス学科に通っていらしたんですよね?
広里友規子さん(『Primavera』代表)「はい。大学の学生課で、『電通』が企画運営していた地下街のオープン・イベントのアルバイト募集を見つけたんです。そこからSP(セールスプロモーション)部でアルバイトをすることになり、その流れでファッションショーの仕事に携わることに。もともと自分で服を縫うほどオシャレが大好きでしたので、“これだ! 私がやりたかった仕事は”とピンときてしまいまして(笑)。アシスタント業務を経て、1981年にモデル・エイジェンシー『セントラル・ジャパン』の企画部に参入。ファッション・ショーの企画、進行、演出を手掛けてきました」
―― ファッション・ショーの演出のどのようなところに魅了されていかれたのでしょうか?
広里さん「服の魅力を伝えるため、音響や照明、モデルなど様々なプロフェッショナルの力が結集してひとつになって、そのとき、その場限りのショーという作品をつくりあげていくところが、たまらく面白いと感じました。
ショーの主催者がデザイナー個人なのか、商業べースなのかでも違いはあるんですが、まずはデザイナーの想いをヒアリングして、それを観客に伝えるための企画構成~台本制作と進むわけです。シーンごとの音楽も選曲しますし、照明のプランニングにも参加して、本番では音響さんや照明さん、モデルさんたちへのきっかけ出しも行います」
―― 芝居でいうところの脚本家と、演出家と、舞台監督を兼ねているようなお仕事ですね。
広里さん「そうですね。でも、お芝居は、初日から楽日まで、昼の部、夜の部と何回かできるでしょう? ファッション・ショーは、ほとんどが本番1回限り、あっても数回程度なので、そのような意味でのプレッシャーと緊張感はより大きいのかもしれません。ただ、うまく観客に伝った!と感じたときの達成感はひとしおでしたね。打ち上げ花火の刹那的な美しさのようなところが、また良かったんですよね」
―― 演出家として独り立ちされた初仕事は、どんなショーだったのでしょうか?
広里さん「それこそ、つい先日2021年1月で閉館した、名古屋駅前のホテル『キャッスルプラザ』でのブライダル・ショーでした。もう結婚して子どもがいましたから、この世界に飛び込んで8年くらいは経っていましたね」
―― 当時の名古屋は、華やかな結婚式で全国的にも有名でしたものね。
広里さん「そうですね、花嫁さんのお色直しも多くて、和装、洋装と3、4着は着替えるのが一般的でしたから、ブライダル・ショーもあちらこちらで行われていました。今はコロナ禍ということもあって、ファッション・ショーもほとんど行われなくなってしまいましたよね」
広里さんが30数年間で手掛けたショーは、『名古屋マリオットアソシアホテル・ブライダルコレクション』『ゼクシィ・ブライダルフェスタ・ドレスコレクション』『国際学生ファッションコンテスト』『レジーナ・シュレッケルコレクション(京都・フィレンチェ姉妹提携40周年記念)』『とらばーゆカフェ・OLファッションショー』『ホテル日航金沢ブライダルコレクション』など、列挙にいとまがない。どれだけの観客をうっとり夢見心地にさせてきたのだろうか、というご経歴である。