27歳で買い取ったマンション1棟をホテルに改築。
源泉100%かけ流しの稀に見る温泉リゾートに
株式会社オハヨーサン代表取締役:金森英樹さん
勤めていた不動産会社が倒産。負の遺産となった、
リゾート・マンションを買い取ったのが物語のはじまりでした。
金森英樹さん(71歳)は、『龍リゾート&スパ』(岐阜県高山市)を経営する『株式会社オハヨーサン』の創業者にして代表取締役である。『龍リゾート&スパ』は、世界最大の旅行口コミサイトTripAdvisorが発表した「Certificate of Excellence 2018(エクセレンス認証)」を受賞した、ハイグレードなホテル。なんといっても源泉100%かけ流しの比類なき温泉が自慢のホテルだが、もともと高名な温泉地というわけではない。ホテルは、標高1000mの大自然、荘川(しょうかわ)高原のただ中に建つ。『高山』『郡上八幡』『白川郷』を結んだ三角形のほぼ中央に位置しており、ホテルから車でそれぞれ60分、50分、45分と、いずれも1時間以内で行ける立地にある。さりとて、荘川高原の名を知る方は多くはないだろう。
―― なぜ、もともとの観光地ではなかった荘川高原にリゾート・ホテルを建てようと思われたのでしょうか?
金森英樹さん(『株式会社オハヨーサン』代表)「私が、今の会社を創業したのは、まだ27歳だった1978年のことなのですが、それまでは不動産会社に勤めていたんです。ところが、会社が倒産してしまいましてね……。その不動産会社と総合商社の株式会社トーメン(現:豊田通商株式会社)がジョイントしてつくったリゾート・マンションがすでに荘川高原に完成していたのですが、今以上に名の知られていない土地の物件は、さっぱり売れていなかったわけです。そこでトーメンから、勤め先を失うことになった私に“ここを買って、どうにかしてみないか”とのお声がかかったんです。即、“お金がありません”とお断りしたのですが、“そんなことは、わかっている。10年ローンでかまわないから、どうだ!”というもので……」
―― 27歳という若さで、リゾート・マンションを丸ごと購入され、ホテルに改築されたのですね! 余程、将来を嘱望されている存在だったのでしょうね。
金森さん「いやいや、誰でもいいから引き受けてくれる馬鹿なヤツを探していたんでしょう(笑)。実際、最初のうちは何度も何度も苦しい思いをして、果たしてやっていけるのだろうかと悩みました。もちろん必死に努力もしていたのですが、どういうわけか、その都度、幸運にも恵まれて乗り切ってこられたんですよ」
―― これだけの人気を博すホテルにご成長されたのが、運だけではないことは、想像に難くありませんが、“度重なる幸運”といいますと、どのようなことがあったのでしょうか?
金森さん「創業当時は、社名と同じ『オハヨーサンホテル』と言いました。今のように、インターネットが普及するまでの“旅”というのは、『JTB』や『近畿日本ツーリスト』といった旅行会社を訪ね、カウンターでいくつか観光地やリゾート地、温泉地の名前をあげたうえで “どこかいい宿はないですか?”と聞くところから始まるのが常でした。でも、当然ながら『荘川高原』の地名をあげてくださるお客様はおられないわけです。
さて、どうやってお客様を呼び込んでいこうかと頭を悩ませて思っておりましたら、神風が吹きまして、高速道路(東海北陸自動車道)ができると、しかも荘川ICができるというのです。インターチェンジの地鎮祭が『オハヨーサンホテル』に向かう進入路の上で行われるほどのベストポジションにできまして……。おかげで、1999年の荘川IC開通後は、高速道路を降りたら5分でホテルにお越しいただける好アクセスの立地へと様変わりしました。進入路だけで3.4キロありますので、静けさも守れたうえに、お越しいただきやすくなったんです」
―― 車でお越しになるお客様にとって、非常に便利な場所になられたのですね。それは、確かに、またとない幸運な出来事ですが、旅行代理店に来られる個人のお客様の候補地に挙がりにくいという点では、まだ問題は残ったままのように思えます。
金森さん「はい、実は、学校の修学旅行が有名観光地型から体験学習型に変わる時代でもあったことが功を奏したんです。荘川高原は、なんといっても環境が抜群にいいものですから、体験学習にはぴったりのフィールドです。そこで、旅行代理店に修学旅行や合宿向けの施設として営業に出向きました。高速道路や荘川ICができて、より一層、大型バスで移動される団体旅行のお客様には来ていただきやすくなったのです。
夏季合宿なら、広い敷地内でポイント・トレッキングを楽しんでいただけますし、学校単位の打ち上げ花火や近くの川でのラフティングもプランニングしました。打ち上げ花火は、通常、許可をとるのが大変なんですが、うちのホテルの場合、周辺に音でご迷惑をおかけすることはありませんからね。
春は、乗鞍岳に残雪がある時期なら、段ボールを大きなビニール袋に入れて即席でこしらえたソリで遊んでいただいたり……。
それでも、さすがに冬はまったくお客様にお越しいただけなくて困っていました。すると、今度は1980年代の半ばくらいから修学旅行でのスキー合宿が流行りまして、いつの間にか、冬でも満室続きになっていったんです」
―― 当時のお子さんたちがうらやましくなるくらい、春夏秋冬、素晴らしい体験ができそうなフィールドですね。
金森さん「ただ、新たな問題も起こってきました。少子化で、修学旅行でお越しいただくお子さんたちの人数が大きく減っていったんですよ。400人、500人で来てくれていた学校のお子さんの数が、200人、300人へと減っていきました。少子化の波は止められない……となれば、お客様のターゲット層を変えて行かなければと思っていたところ、今度はインターネットが普及して、旅はネット検索で個々人がプランニングするようになっていくわけです。ただ、この場合も検索窓には地名、スペース、宿などと入力してお探しになる。さあ、どうしようと思っておりましたら、もともとは岐阜県大野郡荘川村だったのが、2005年に高山市荘川町になったことで、旅の目的地として『高山』と入力されて宿を探されるお客様の目に留まるようになっていったのです。
同時に、口コミを調べて、評判の良い宿で過ごすことを目的として旅行を組み立てていただけるようになったことで、地名にネームバリューのない私どものようなホテルでも、“努力が実りやすい時代”になっていきました。これは、本当に画期的な出来事でしたね」
―― 40年以上にわたる、たゆまぬ努力が報われ、見事に花を咲かされたのですね。
金森さん「さらに、その後、ホテルの運命を変える出来事が起こりました。高山市になった頃は、総合商社にとっての冬の時代で、2006年にトーメンは豊田通商と合併するのですが、同時期に銀行の生き残りをかけた金融大合併も進み、東京三菱銀行とUFJ銀行が一緒になり『三菱東京UFJ銀行(現:三菱UFJ銀行)』が誕生します。そのような時代の大きな変遷の中で、トーメンが所有していたホテルの建つ荘川高原の土地を買って欲しいという話が、私のもとに舞い込んだんです」